• HOME
  • Archives
  • Project
  • ドクメンタ15に向けた栗林隆「元気炉」 制作活動のためのクラウドファンディング開始予定!

ドクメンタ15に向けた栗林隆「元気炉」 制作活動のためのクラウドファンディング開始予定!

2022年6月18日から開催されるドクメンタ15

一般社団法人something like thisでは、設立後第1号のプロジェクトとして、世界的に知名度の高い国際美術展であるドクメンタ15に日本から唯一招聘されている「CINEMA CARAVAN & TAKASHI KURIBAYASHI」の、栗林隆の「元気炉」を制作・運営していくための必要資金の募集を、クラウドファンディングサイトCAMPFIREにて今月末(予定)より開始します。

ドクメンタ(documenta)とはドイツの中央部(かつての東西ドイツ国境付近)、ヘッセン州にあるカッセルで、1955年以来、5年に一度行われる現代美術の大型国際展です。毎回設定されるテーマのもとに現代美術の先端を担う作家を世界中から集めて紹介するという方針で開催されており、美術界の動向に与える影響力は非常に大きく、世界の数ある美術展の中でも最古の国際展である「ヴェニス・ビエンナーレ」に匹敵する重要な展覧会の1つに数えられています。いわば、アート業界のオリンピック日本代表といった見方になるのかもしれません。

「元気炉」は、栗林隆(以下、「栗林」)が、2020年から2021年にかけて入善町(富山県)入善町 下山芸術の森 発電所美術館で開催された個展での作品です。この作品「元気炉」が生まれた背景は、2011年に起きた東北大震災に遡ります。栗林自身こう述べています。

2011年3月11日、東日本大震災、それに伴う福島第一原子力発電所の事故、これらの一連の出来事が、私に新しい時代への可能性と絶望を感じさせました。この事故により多くの人達が目を覚まし、時代の流れが自然エネルギーや再生可能なものへと大きく舵を取り、全く違う世界へと変化する、千載一遇のチャンスだと捉えていたからです。

栗林は、ここで原発事故の恐ろしさを認識しましたが、現状の原発に批判的と言うよりも、人々にとって可能性と持続性の高いエネルギーのオプションの提案をしています。
実際に自身で、20代の頃にタイに赴いて薬草スチームサウナであるタイ式のスチームサウナに親しみ、崩した体調がスチームの中に入って自分のエネルギーを取り戻し、充填する経験をしています。 2011年に起きた東北大震災以降、これからの社会のあり方について思考を重ねてきた栗林は、下山芸術の森 発電所美術館での個展開催の機会を得て、かねてより実現の準備をしていた「元気炉」を展示することになります。
これに続いて、「元気炉」2号機が、栃木県大谷町の大谷石地下採掘場で設置されました。

栗林隆「元気炉」(入善町 下山芸術の森 発電所美術館) 、撮影:志津野雷

サウナ内部への通路、撮影:栗林隆

元気炉のサウナ内部、撮影:志津野雷

元気炉のサウナ内部、撮影:志津野雷

元気炉に至るまでの道のりは長いものでした。

2011年3月11日、東日本大震災、それに伴う福島第一原子力発電所の事故、これらの一連の出来事が、栗林に新しい時代への可能性と絶望を感じさせたできごととなったようです。

現在、コロナの影響、その後世界で起きている出来事にフォーカスをしがちですが、時代の変化、シフトを感じさせたのは、栗林にとって、やはり福島の事故であったと言います。それはなぜでしょうか。

12年間生活をしたヨーロッパ、ドイツの地で、当時多大な影響を受けたチェルノブイリの原発事故。それにより生まれた矛盾や不安、恐怖。ヨーロッパ全域に、何十年もの爪痕を残し続けた、たった一基の事故の元である原子力発電所が、日本には58基(2011年当時)も存在していると言う事実。原子力は安全、と言う安全神話のもとに、すでに多くの人達が、頭では理解していても受け入れている、諦めている世界。そんな中で起きた、福島原子力発電所の事故は、想像を超える恐怖を与えるものであり、インパクトは計り知れないものでした。

当時の事故レベルは、チェルノブイリの規模をこえるレベル7の警戒度が置かれ、今後、東日本に住める可能性はほぼ無し、と言われるほど悲惨なもので、ヨーロッパでの経験だけではなく、九州の長崎に生まれ育った栗林隆のバックグラウンド、歴史からすると、それはもう絶望と諦めの瞬間でしかなかったことは、想像をするに易しでしょう。

しかしそんな栗林に、1つの大きな可能性と希望が残されてはいたのも事実です。それは、この事故により多くの人達が目を覚まし、時代の流れが自然エネルギーや再生可能なものへと大きく舵を取り、全く違う世界へと変化する、千載一遇のチャンスだとも捉えることができたからです。俗に言う、ピンチはチャンスである、ということになります。日本の先人たちを振り返ってみればわかるかと思います。多くの偉大な先輩方が、さまざまなピンチをチャンスに変え、世界に向けて日本の可能性を示して来た歴史と経験があるでしょう。たとえ、今の日本のリーダーが頼りなかったとしても、ここまでのピンチ、事件(もはや事故ではなく、事件である)が起こったのであれば、腹を括り、本来のリーダーシップを発揮し、日本の新しい可能性、方向性を示し、むしろ世界に向けて大きな舵取りをする可能性があるのではないかと、当時、まだ世の中、世界、そして作られた社会の事実を知らなかった浅はかだと自認する栗林にとっては、この世界的な事件が日本の可能性、さらには世界の時代の変革期になるのだと、疑わずにはいられなかったようです。

しかし、そこで起きたことは、何もなかったことにする、元に戻ろうとする、恐るべき流れ、空気だったと言います。事故以上に衝撃を受けたのに他ならないとのことでした。

栗林本人はその時から、自分が生まれて学んできたこと、見てきたこと、信じてきたこと全て、逆転、反転させる、疑うではなく、全てのことをひっくり返してみることに決めたのでした。まさに、本人にとっての新しい時代の幕開けだったと言います。

全てを逆から捉えることを決めた栗林隆がまずしたことは、自分の目で見たこと、そして頭ではなく、心から腹落ちすることを信じる、ということでした。

そのためには事故後誰も近寄らないと言われていた福島の原発事故の現場、またそこに一番近いとされる多くの場所に、自分自身で赴き、自らの目で見て、感じて、経験することでした。自分の意思とは別に、心が福島へ向かえ、と訴えかけていたのを覚えているようです。

しかし今思い返すと、当時の時間や空間、その他多くのことをよく思い出せないとも言っています。自分たちがやれることはやった。おかしいと思うことはおかしいと伝え、蹴り出されても懲りずに、毎年とにかく福島に向かったと。とにかく目の前のことに一生懸命向かい合っていたのだろうと振り返っています。

そこから5年ほどした頃に、逆転させる、と言っていた自分が、おかしな方向から福島の地を見ていることに気づき始めたとのことでした。それは何かというと、結局、福島に対しての目線、見方、捉え方が、世の中の情報や、常識、いわゆるステレオタイプな方向からしか向き合っていないことに気づいたのでした。つまり、原発は危険なもの、放射能は怖い、身体に悪い、福島の人たちは苦しんでいる、東電や政府は悪だ、などなど一般的な価値観からでした。

この価値観を通して見る福島は、不幸や恐怖、ネガティブパワー全開の場所でしかなかったと言います。何も反転などできていなかったのだと。福島の人々や自然、そして多くの不安や恐怖を煽る情報を逆転させ福島に赴くと、そこは人情に溢れ、自然豊かでとてもエネルギーに満ちた素晴らく魅力的な場所にしか見えなくなっていったのでした。

人間というものは単純というか、不思議な生き物です。他の動物や植物、存在するものの中で、感情一つで見るもの見えるものが全く逆になるのでしょう。他の生き物たちにはない、独特の性質です。居心地が良い場所となった福島は、行かざるを得ない場所から行きたい場所へと変化していったのでした。

この頃を機に、栗林は多くのエネルギーやパワーを福島の土地、人々から分け与えてもらい、この感覚や感情、状況を自分の媒体であるアートと言うものを通して伝えたり、体験させられないかと思考し始めるようになりました。

時間と空間の繋がりについても触れています。アーティストにはよくあることですが、今やっていることが、数十年先の自分のため、または、その数十年先の自分の知り合いのためのものであったりします。その感覚を掴めると、今やっていることが意味不明でも、理由が分からなくとも、何の問題もなく今に集中することができるようになります。アイデアというものはそういうものの1つであり、何十年前のものが、時と時間、空間や時代を超えて、ばっちりとハマる瞬間が出てくるのだと言います。栗林はそれを、「行き当りばっちり」、と言っています。

20代の当時、本人は自分の身体にとてもフィットする、タイ式のスチームサウナを好んでいました。当時はお金を作る為や経験をいかに活用するか、そして、単純に水中の世界が好きであったということもあるようですが、ダイビングのインストラクターをしてたことがあり、冬の寒い時期は、ドイツから遠く離れたタイに行き、水中生活を行っていました。その時出会ったものが薬草スチームサウナというものでした。どんなに体調を崩したとしても、1時間もスチームの中に入ればあっという間に自分のエネルギーを取り戻し、充填できる素晴らしいシステムでした。毎日毎日その空間に通い、自分の生活の一部になった頃、この装置を自分の作品の一部に取り組めないかと色々なアイデアや思考をめぐらし始めたのです。その思いとアイデア、そして栗林の中から湧き出る気持ちは、そのままの自分の心のメモリーの中にインプットされ保存され続けたと言います。

そこから月日は流れました。

栗林の作品という媒体を通して、人間にエネルギーを注入させるシステムとしてのアートを作り出すことは出来ないか、と考え出したのです。

そして、25年の月日を超えて「元気炉」という名の作品が誕生するに至りました。

2011年から10年の月日が経とうとしていました。福島の、原子力発電というもの、そして人間が持つネガティブなイメージやエネルギーをアートというものを通し反転できないかと考えていました。全てのものは、エネルギーなのです。それは、見えるものから見えないものまで、我々に起こる問題やテーマ、そして関わる全てのことは、このエネルギーという物に集約されます。そしてこのエネルギーは見えないだけに、人々の思考でどんなものにでも変化を遂げるのです。

それならば、このエネルギーを全てポジティブなものに変換させてしまうシステム、そして精神的な喜びに変えるだけではなく、強制的に肉体的にも健康に元気にさせてしまうものを作ることができないだろうか。そう考えているところに、偶然にも必然的に、富山の発電所美術館からの個展のオファーが舞い降りてきたのでした。

2019年の末、時代はコロナが流行し、人々が毎日無駄にマスクと消毒を始めた頃です。元水力発電所の跡地を美術館にした、知る人ぞ知る不思議な空間を持った場所です。ここは、水力発電所だったこともあり、水や土、その他かなりの荷重にも耐えられる構造をしており、栗林隆の作品には打ってつけの場所であると言われていました。今までやりたかったのに出来なかったことをぜひこの機会にやってくれ、とのことでした。アーティストに好きなことをやらせる、ということはとても素晴らしいが、恐ろしいことでもあります。

福島の事故から10年、自分の中で原発の問題と向き合った10年、そしてこれからに10年、どう向き合ってアートというものを人々に必要なものへと昇華させることができるのでしょうか。

エネルギーを生む場所であった水力発電所跡地で考えたのは、同じエネルギーを発電する原子力の問題をいかに違うエネルギーへと変換することができるのか、ということです。電気という、ほんの150年ほど前にできたエネルギーに翻弄される我々人間。しかし一番のエネルギー体であり、ものすごい威力を持つのは我々生き物自身であり、特に人間の持つプラスのエネルギー、幸せや喜びを放つ時のエネルギーがいかに強く、パワフルであるかを今一度再認識させ思い出すことが出来る作品。では自分がその状況に精神的にも肉体的にも置かれる状況とは何か、と考えたときに思い浮かんだのが、20代の頃引き出しにしまっていた薬草スチームサウナなのでした。

物事はすべてが繋がっています。時代、空間、意識、その他全てです。原子力発電所が蒸気でタービンを回すスチームサウナのようなものだったり、制御棒がメルトダウンしそうになると水風呂に浸かるのも我々と同じです。そこで誕生した栗林の作品は、人間の元気の力で稼働する、元気力発電。そしてその中心にあるものが、そう、「元気炉」なのです。

原子炉から元気炉へ。現在日本に鎮座する55基の原子炉。それを超える数の元気炉を日本中に設置し稼働させます。人間の抵抗力と免疫力を上げ、さらには元気にしてしまう新しいエネルギーシステム。原子炉や多くの問題に対抗するのではなく、それとは別に人々の喜びや幸せのエネルギーを増築させる空間、システム。サウナでもなくアートでもない、「元気炉」という新しい存在が、これからの時代我々に必要なのです。栗林が10年をかけて出した答えが、「元気炉」なのです。

ドクメンタ15に展開される「元気炉」

今回ドクメンタ15で披露される予定の「元気炉」は、「元気炉」4号機(3号機は5月に恵比寿ガーデンプレイスのイベントで展示される小規模のもの)として、カッセルの屋外、いわば自然の中での展示になり、複数の“蚊帳”で出来た空間を作り、蚊帳の外(仲間外れにしない)にいる人たちを“蚊帳の中”に導き入れます。それは蚊帳の外の人たちとの繋がり、コミュニケーションであり、蚊帳の外の人たちをどんどん無くして行くことを目的としています。その蚊帳の空間は、自由に場所を移動し、動き回り、その時その場所によって違う形の集合となります。

『蚊帳の外』イメージスケッチ(元気炉)。今もまだ試行錯誤を繰り返している。

第15回のドクメンタ芸術監督を務めるのは、インドネシアのアート・コレクティブ「ルアンルパ」で、彼らが提示するコンセプトは「ルンブン(Lumbung)」、インドネシア語でコミュニティにある知識やアイディア、資源などを集約し共有するという意味で、参加アーティストは「ルンブン・アーティスト」とも呼ばれています。 また、ドクメンタ参加作家は、ドクメンタ終了後も、それぞれの活動地に戻り、継続した活動が期待されています。栗林の「元気炉」もまた、ドクメンタ以降も、国内外を問わず継続した展示が構想されており、当社団法人としてもその活動を継続的に支援していきたいと考えています。

冒頭にて触れてますが、日本より参加するのは、逗子海岸映画祭などを手がけるアーティスト・グループ「CINEMA CARAVAN」と、同グループと長年連携している栗林隆です。ドクメンタからは用意されている予算は、これらのアーティスト全体の渡航費や滞在費などですが、とりわけ作品の規模が大きい栗林の「元気炉」の設置は、これとは別に資金がおよそ450万円必要となります。具体的には、元気炉の制作材料(パイプ、強化ガラス、フレーム木材・鉄鋼)、薪、薬草、アーティストやアシスタント(日本およびインドネシア)の滞在費や日当、クラウドファンディングサイトへの手数料等です。内訳の明細は別途公開されるクラウドファンディングサイトより確認できるようになります。

クラウドファンディングサイト CAMPFIRE にて2022年5月末 (または6月初)より公開予定です。公開され次第、下記リンクもプロジェクトのリンクに差し替えます。

https://camp-fire.jp/

国内はもとより、世界で活躍を期待されているアーティスト栗林隆の支援を何卒宜しくお願い致します!